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PN:和蔵 一起
HN:カズ@憧れの大地
バックパックを背に、暇さえ見つかれば世界のどこか(主にアジア)を巡り歩いているバックパッカー。
2001年、2007年にチベットを訪れ、その文化に強く心を引かれる。
2011年9~10月、ちょっと社会人をお休みして古き良きチベット文化の薫りが残るインド・ラダックへ。
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ダラムサラ」の最近のブログ記事1 / 3

ダラムサラ~デリー

2011年10月16日

ダラムサラから夜を徹してインドの首都デリーへと向かうバスは、VOLVOバスとデラックスバスの2種類があった。私はエアコンが無く、リクライニングも並であるランクが下のデラックスバスを選んだが、これで十分。この時期はエアコン無しでも車内の室温はちょうどよく、リクライニングも浅すぎることなくちょうどいい塩梅だった。尻だけはちょっと痛くなったが、そんなにクッションが利いていない訳でもない。

午前6時すぎ。バスはデリーのチベット難民キャンプがあるマディスマジュラに到着。他の外国人3人でメインバザールまでオートリキシャを相乗りする。しかし、インドのリキシャワラーはタチが悪い。メインバザール手前の場所にある、つるんでいると思われるホテルの前に泊まって、「さあ、こちらのホテルにどうぞ」とくる。しかし、甘く見てはいけない。私と更にもう1人、既にメインバザールを知っている乗客がいたのである。
「ここメインバザールちゃうやろ!」(勿論英語で言ったのだが、なぜかここでは関西弁で書いてみた)
と言うと、リキシャワラーは笑ってごまかしながら、最終的にはメインバザールまできちんと行った。

リキシャが停まった所のちょうど近くに、宿の候補と考えていたAjay Guest Houseがあったのでまずは行ってみたが、エアコン無しでも500ルピーと少々高い。向かいのHare Rama Guest Houseのフロントを覗いてみると「エアコン無し300ルピー」となっている。部屋もそんなに悪くなかったので、こちらに泊まることにした。

さて、帰国の途に就く前に、もう1か所、今回行っておきたい場所があった。ブッダ入滅の地・クシナガルである。前回のインド・ネパール訪問で、生誕の地・ルンビニ、苦行の地・ラージギル、悟りの地・ブッダガヤ、初説法の地・サールナートには既に行っていたのだが、どういう訳か入滅の地だけ行きそびれていた。今回のインド訪問でどうしてもその穴を埋めたかったのである。
列車でゴラクプルまで行ってそこからバスでアクセスするのが便利そうだったので、ニューデリー駅に行って切符を買いに行くか。と、それよりも、予想通りの展開ではあったが、日本でとった復路の日付が変更可能な航空券の予定日よりもやはり早めの帰国となりそうだ。こちらの変更手続きを先にやっておくか。

そこで、コンノート・プレイスにあるジェットエアウェイズのオフィスに向かったが、どうやら元あった場所から移転した模様。同じコンノートプレイスのGブロックに移ったと聞いたのでGブロックに行ってみたが――はてどこだろう。
あ、「ツーリストインフォメーション」の看板がある。あそこで聞いてみよう。

ところが、場所を聞くつもりだっただけのそのツーリストインフォメーション――ではなく、DELHI TOURSという旅行社だった――で、結局日付変更の手続きをすることになった。よく考えたらこの日は日曜日。航空会社のオフィスも今日はCloseなのだ。それならここでやってしまった方がいいだろう。
ところで、私がとった航空券は純然たるオープンチケットではなく、「復路のみ、空席があれば、目的地以降1回のみ無料で変更可。経路変更は不可。 *現地で変更事務手数料が別途かかる場合があります。」というものだった。その「現地で変更事務手数料」というのが曲者で、これに結構な値段がかかってしまった。

そして、クシナガル行きも、ニューデリー駅の外国人専用チケットオフィスが日曜で閉まっているらしいこと、現在インド全体でフェスティバルが行われていて列車のチケットが手に入りにくいとのこと、ゴラクプルからラージギルのバスが予想以上に少ないようであることなどから、こちらでお世話になる流れになってしまった。
最初は行きも帰りもゴラクプル経由で行く方向で話を進めていたのだが、
「クシナガルなら、バラナシから車でアクセスする方がいいですよ。途中に他の仏教遺跡もありますし」
と、日本語の達者なベテラン職員が横から入ってきた。
そういうことなら、デリーから夜行列車でバラナシに行って、翌朝到着したら車でクシナガルへ・・・

待て待て待て。
バラナシに行くなら、素通りはしたくないぞ!

ということで、
 1日目 デリー―(夜行列車)→
 2日目 →バラナシ(1泊)
 3日目 バラナシ→クシナガル(1泊)
 4日目 クシナガル→ゴラクプル―(夜行列車)→
 5日目 →デリー、市内観光
という日程になった。

さて、お値段は・・・
先程のベテラン職員が電卓をたたく。
「3万5000」
「え!? 3万5000ルピー?」
「違う違う。3万5千円」
何だ、日本円か。それにしても高いな・・・
どうやら、バラナシ→クシナガル→ゴラクプルの車代が高くつくらしい。

その後、車や列車をエアコン無しにしたり、5日目の市内観光を無しにしたりで「ラストプライス」2万円まで引き下がった。

どうしようか・・・

2万円でも、自力で行くことを想定して考えていた値段よりも高い。しかし、ここまで引き下げることができたのだし、やはりクシナガルには行きたい。列車の切符の取りにくさを考えると・・・

よし。
これで行こう!

帰国日こそ日曜が明けた翌日にならないと決まらないが、これで取りあえず今回の旅の最終段階の日程が固まった。

ダラムサラ最後の日

2011年10月15日

昨日のマーチを見てチベット人の自由を希求する強い意志を垣間見たことで、ダラムサラでの見聞にひとまず区切りがついたと感じた。1週間の予定が9日間となり、まだ滞在したい気持ちは強いがこのへんが潮時だろう。
今日でダラムサラを後にし、旅の終わりのカウントダウンを始めることにした。

2度目のダラムサラは、初回に見過ごした(と言うか、初回は見過ごしだらけのスカスカの訪問だった)場所も訪れることができ、実りある訪問だったように思う。

コルラ道(リンコル)
マクロードガンジの街中に仏教色が少ない分、ここを毎朝巡礼することで存分に仏教に触れることができた。

チベット子供村(TCV)
上から眺めることしかできなかったが、明るく元気に活動する子どもたちの姿に彼らの未来に一筋の光を感じると同時に、彼らが抱える「悲しみ」を直感的にではあるが心の底から悲しいと初めて感じることができた。

ノルブリンカ
こちらでも、チベット文化の継承に光を見ることができた一方で、こうした文化継承の活動は彼らの故郷で行われてこそ意味があるのだということをあらためて痛感した。

タンカ購入
仏教についてはまだまだ初心者ではあるが、タンカを購入したということ自体が仏教に対する関心が強まっていることの証拠ではないかという気がする。タンカ絵師の女性に絵の解説をしてもらったことも、仏教の知識を積み上げることの一助になったことは間違いない。

チベット人との会話
少しは話ができたが、TCVの時と同様、彼らの背景の深い所にまで立ち入ることにはまだ抵抗感を拭い去ることはできなかった。「ここ(ダラムサラ)で生まれたのですか? チベットから来たのですか?」ということを尋ねて彼らの背景を想像するにとどまった。
「なぜチベットからここへ?」――「自由を求めて」
「チベットからここにはどうやって?」――「ヒマラヤを越えて」
聞くまでもないことだったので敢えて尋ねなかったということもある。しかし、私にはまだそこから先の深い所に踏み入る覚悟と図太さができていなかったようだ。
新しく知ったことといえば、タンカ絵師の話からチベット難民の生活の厳しさ、亡命先で働くことの難しさ、ということだろうか。彼女が口癖のように繰り返す「大変なのよね」というフレーズが、チベット難民の置かれている困難な状況を物語っていたような気がする。

自由への意志
最初に書いたように、初めてチベット人によるチベット人の抗議デモを目にしたことで、主催団体がチベット難民社会で“熱い”部類であることを差し引いても、チベット人の自由・人権を求める強い意志を肌で感じることができたのも大きな経験だった。


一つだけ、前回の訪問でなし得て、今回の訪問でなし得なかったことがあった。
ダライ・ラマ法王のご尊顔を拝することができなかったことである。
しかし、前回はティーチングに参加したものの今回はタイミング的に参加は難しいであろうことは最初から分かっていた。ご多忙の身なので余程の幸運でもない限りそれ以外の機会を得るのは難しいだろう。
まあ、帰国後に日本での講演に駆けつける予定でいるので、それだけで十分としよう。


午後6時には、ここを出発することになる。
最後に、もう一度ダラムサラの街中を散歩してみた。
ツクラカンでは、僧侶たちが手を打ち鳴らしながら問答をする中、人々が穏やかに巡礼し、マクロードガンジでは車やバイクの音はやかましいものの、人々の息づかいはゆったりとしている。

またいつか、来ることはあるだろう。
前回立ち去る時と同じ願いになってしまうのが悲しいが、その時には、チベットの状況が改善されて、人々に本当の笑顔が戻りますように・・・

タンカのその後

2011年10月14日

ダラムサラの露店で買ったタンカ(仏画)の件だが、知人からこのブログのコメントで表装を進められた。
どうしようかと考えた挙句・・・

2つあるうちの片方だけ表装してもらった。
値段は400ルピーと、日本でやった場合を考えると恐ろしいほど安く済んだのだが、バックパックの容量が限界に近く、これ以上荷物を増やしたくなかったので小さい方の片方だけにした。

こうして、サキャムニ・ブッダのタンカが鮮やかに彩られた。
表装したタンカ

うん。ありがたさ倍増だ。

ダラムサラ(21)~デモ行進

2011年10月14日

午前10時すぎ。中心寺院のツクラカンの入り口に大勢のチベット人たちが集まってきた。ある者はチベット国旗を手にし、ある者は顔写真が印刷されたプラカードを首にぶら下げている。そして、拡声器とチベット国旗を設置したジープが待機している。
ツクラカンの入り口に集まったデモ参加者
プラカードの写真の主は、チベット本土で抗議の焼身自殺をした7人。ここに集まった人々は、その犠牲者の追悼と中国共産党のチベット支配・弾圧への抗議のデモの参加者たちだ。

10時半前、参加者たちが歩き出す。ロウアー・ダラムサラに至る2時間(最後の集会を含む)のデモ行進が始まった。>
抗議デモ

下り道とはいえ、狭く、埃の立ちやすい悪路もある厳しい道程だ。日射しも強く暑さとの闘いともなった。
抗議デモ

僧侶や若者たちだけではない。女性たちも凛とした声で気勢を上げる。
抗議デモ

インド人ギャラリーの多いロウアー・ダラムサラに近づき、シュプレヒコールは更にヒートアップする。

今回のデモの主催者は、チベット難民コミュニティの中でも先鋭的といわれるチベット青年会議(TYC)。シュプレヒコールを上げる気勢も熱い。

11時45分、デモの終着点であるロウアー・ダラムサラの中でも下の方にある広場に到着。その人数は数百人にも上った。
その後も広場で、集会が12時半まで続く。
抗議デモ

中には政治犯の扮装をして抗議に参加する人も。
抗議デモ

参加者の大部分がチベット人ということもあり、チベット青年会議主催ということもあってか、日本で経験したどんなFree Tibetデモよりも熱かった。これが、チベットの人々の自由を求める熱い思いなのだ。
ただ、余り熱すぎるのもどうかと思う場面も少々あったが・・・

夜には、マクロードガンジでキャンドルを灯してのマーチが行われた。こちらは外国人の参加者も多く、国境を越えて焼身自殺者への哀悼とFree Tibetへの願いをこめて比較的粛々と更新が行われた。
キャンドルマーチ

最後はツクラカンに集結。哀悼と自由への希求の炎が幾つも揺らめく中、チベット国歌が歌われた。
キャンドルマーチ

ダラムサラ(20)~マクロードガンジ中心部の寺院

2011年10月13日

またしてもマクロードガンジ広場近くの話だが、南へ延びる2つの道に挟まれて、規模は小さいが金色のまばゆい存在感のある寺院が建っている。
マクロードガンジ中心部の寺院
私はいつもこの寺院の東側の道を歩くことが多いのだが、この日西側の道を歩いていたら・・・

扉が開いている。

これまで全く気づかなかった。この扉、開いていたのか・・・
中には誰もいないが、どうやら入っても構わないようだったので入ってみた。

――知らなかった。

この寺院の内部にこんな立派なチョルテン(仏塔)があったなんて・・・
マクロードガンジ中心部の寺院内部のチョルテン

最上階にこんなに立派な仏像があったなんて・・・
マクロードガンジ中心部の寺院の仏像

ちょっと1階に戻るが、大マニ車が設置されている部屋の壁には無数の小仏像が安置されている。
無数の小仏像

再び最上階。マクロードガンジを見下ろしてみる。
中心部の寺院から見下ろしたマクロードガンジ

前回も含めて滞在期間はそう長くないので当たり前のことだが、まだまだダラムサラには「初めて知った」がたくさんありそうである。

ダラムサラ(19)~モモカフェでツァンパ粥

2011年10月13日

マクロードガンジの広場から東へ入り、左側の坂を上ってすぐの所に、モモカフェという小さなチベット料理レストランがある。壁に描かれている招き猫の絵と「おいしいモモを召しあがれ」という日本語が日本人にはいい目印。誰が作ったのか、メニューにも丁寧な日本語が書かれている。
モモカフェ

昼前に近くで用事があった帰りに、食事をしようと寄ってみた。中にはちょうど食事を済ませた顔見知りの日本人もいる。やはり壁やメニューの日本語効果か、日本人にも人気がある。

「何を食べようかな?」
とメニューを見ると、「ツァンパ粥」(メニューの日本語は別の書き方がされていた)あるではないか。
ツァンパとは、炒った大麦を粉にしたもので、チベットの代表的な主食だ。きな粉やはったい粉をイメージしてもらえればいいかと思う。
今回ラダック、ダラムサラとチベット文化圏を回りながらなぜかこの主食・オブ・チベットのツァンパを食する機会には恵まれていなかった。レストランのメニューとしてツァンパを出している所が無かったのである。

[決 ま り だ]

私は迷わず、牛乳とバターを使ったツァンパ粥を注文した。

で、出てきたのが↓これ↓
ツァンパ粥
どんぶりから溢れんばかりのツァンパ粥。表面には黄色いバターが泳いでいる。

では、いただきます。

ツァンパはよくバター茶と混ぜてこねてペースト状にして食べられる。やはりツァンパにはバターとの組み合わせがベストマッチ。今回食べた粥もバター入りで、ツァンパの甘さとバターの塩辛さが絶妙だ。

しかし・・・
食べたことのある人ならお分かりかと思うが、

ツァンパは異様なくらい腹がふくれるのだ。

どんぶり一杯のツァンパ粥――1人で完食できる代物ではない。
大勢で行った時にサイドメニューとして1杯だけ注文するというのがちょうどいいかもしれない。

ダラムサラ(18)~ルンタ・プロジェクトの写真展示

2011年10月13日

私が泊まっているルンタ・ハウスには政治犯(とは言っても『Free Tibet』をちょっと唱えただけでも政治犯として獄に繋がれているのがチベット本土の現状で、実際は“犯罪者”とは程遠い)などのチベット難民支援を行っているルンタ・プロジェクトのオフィスが入っている。廊下や階段にはチベット問題を訴える写真の数々が展示されているが、3階にある会議室には、それらより遥かに生々しい写真が展示されている。(いずれも写真撮影禁止)

 拷問によって見るに堪えないほどの傷を全身に負ったチベット人
 中国共産党の侵略・支配に抗議するデモ行進
 機関銃を構えた中国共産党軍の兵士

古いところではチベット侵略前のものから、新しいところでは2008年の騒乱の時のものまで展示されている。
中には、1947年にインドで開かれた独立国の会議にチベットが出席している写真もあり、この時点でチベットが独立を維持していた事実をしっかりと示している。

「チベットが悲惨な状況にある」――言葉でそう言ってもなかなかピンとこないこともあるだろうが、これらの写真はその悲惨な状況を言葉以上に雄弁に伝えている。

実際のところ、チベット問題を知らずに来ている外国人もいる(4年前にここに来た時の私も殆どよく知らない状況だった)。そんな方は、ルンタ・ハウスに立ち寄ってこれらの写真をぜひ見て頂ければと思う。

ダラムサラ(17)~ノルブリンカ

2011年10月12日

ガンチェン・キションに続いて、次はノルブリンカを目指す。ノルブリンカと言ってもチベット本土のラサにあるようなダライ・ラマ法王の離宮ではなく、チベット芸術の未来を担う若者らが修業・創作にいそしんでいる施設である。

ルンタ・レストランの貸本の中にあったガイド本の地図によると「ロウアー・ダラムサラから2km」と書いてあるので、それなら下りの行きだけでも徒歩で行けるかな、と考え、引き続きガンチェン・キションから歩いて取りあえずはチベットの雰囲気のかけらもないインド一色のロウアー・ダラムサラまで下った。
ところが、そのガイド本の地図がノルブリンカまでは載っておらず、バスターミナルを下った先の分かれ道で「はて、どちらの道か?」と方向が分からなくなってしまった。ここで歩いて行くのは諦め、渋々タクシー(180ルピーかかった。マナーリー~ダラムサラのバス運賃が280ルピーだったことを考えると余りに高すぎる)で目的地まで向かった。
――歩くのを諦めて正解だった。
何が「ロウアー・ダラムサラから2km」だ。タクシーでも軽く10分はかかる距離だった。

幹線道路からも外れ、細道を奥まで延々と進み、やっとのことで目的地に到着。入り口をくぐると、係員がガイドを申し出てきた。ガイドは無料なので、必ず案内してもらうこと。

門の先にはまず、中庭が広がっていた。タルチョ(五色の祈祷旗)あり、チョルテンあり、清流あり、竹の整った植え込みありで、実にさわやかな印象を受ける。
ノルブリンカの中庭
「ここは、日本人が設計したのです。Mr.Nakahara・・・」
何と、ルンタ・プロジェクトの中原一博氏の手によるものだった。

そして、ここに来た一番の目的である工房へと案内してもらう。

ジャンル別に分かれた幾つもの工房で、若者たちが真剣な目で創作に挑んでいる。

タンカを描く者
タンカを描く者

パッチワークのような布タンカを制作する者
パッチワークのような布タンカを制作する者

木彫をする者
木彫をする者

金細工を作る者
金細工を作る者

チベットの先人たちが積み上げてきた伝統に傷をつけないように継承するため、皆精進に励んでいる。

一番奥にはゴンパもあり(但し、僧侶はいない)、中には金色の大仏が安置されている。
ノルブリンカのゴンパ
「こちらで瞑想をしていってください」
と、ガイド氏から座布団を手渡された。瞑想のために座布団となれば、日本人としては当然、

――座禅

暫くの間、座禅で心を穏やかにした。

工房のほか、人形博物館もあり、チベットの文化などを人形を使ったジオラマ(と言ったら大げさかもしれないが)で表現している。こちらだけ有料で、参観料20ルピー。
人形博物館の展示

最後はショップに案内されて参観終了。そのショップの方は家具やら高級そうな衣服やらで私には無縁の世界。すぐに外に出て、再び中庭の風景を楽しみながら退場する。

帰り道は、行きにタクシーで180ルピーも使ってしまったことが悔しくてならず、幹線道路まで歩いてバスを拾い、ロウアー・ダラムサラのバスターミナル手前で乗り合いジープに乗り換えてマクロードガンジに戻る。帰りのマクロードガンジまでの交通費は15ルピー。行きのロウアー・ダラムサラ~ノルブリンカ間の僅か12分の1の料金でほぼ全行程を行くことができたのだ。

ノルブリンカは、今回のダラムサラ訪問で一番見応えがあり、印象に残る場所だった。
これだけ多くの人々が、これだけ真剣に伝統芸に打ち込んでいるのであれば、チベット芸術の継承は今後も安泰だろう。
しかし――それが彼らの故郷ではなく、亡命先でないと実現できないというのが、やはり悲しい。チベット文化は、故郷であるチベットで継承されてこそ初めて、チベット文化たり得るのだから・・・

ダラムサラ(16)~チベット亡命政府、図書館

2011年10月12日

マクロードガンジ南側からロウアー・ダラムサラに下る道の途中に、チベット亡命政府の各官庁が集まるガンチェン・キションチベット図書館がある。日本で言えば霞が関に相当する場所と言えるが、各官庁の建物はアパートと見まがうほど小さく、霞が関とは随分雰囲気が違う。
チベット亡命政府は、公式には国際社会に認められていないものの、今のところチベット人による唯一の正統な政府機関である。ここで、先日首相に選任されたセンゲ氏を中心に役人たちがチベット難民のために、そして世界に「Free Tibet」を訴えるために日夜働いているのである。
ガンチェン・キションの広場
ガンチェン・キションの広場

ダライ・ラマ公邸や中心寺院のツクラカンのあるマクロードガンジからこんなに離れた場所に官庁を建てるというのは、「政教分離」を考えてのことなのかもしれない。

その一角にあるチベット図書館は、蔵書を管理すると同時に、世界各地から留学生らが集まってチベット文化を学ぶ場にもなっている。
チベット図書館
チベット仏教の文物も一部管理しているようで、館内の一角には博物館もあって公開されている。スペースは狭いが、仏像やタンカ(仏画)など優れた文物が展示されている。中でも、展示室中央に展示されている2つの立体曼荼羅は必見。

この一帯で活動する人々の祈りの場として建てられたのか、近くにはネチュン・ゴンパという僧院もある。昨日訪れたチェチョリン・ゴンパなどと同様、赤・白・黄を基調とした伝統的な薫りのある正統派?ゴンパである。
ネチュン・ゴンパ

更に、ガンチェン・キションから幹線道路を少し下った所には、チベット医学の中心地であるメンツィカンもある。
メンツィカン

これらの施設で活動している人々の努力が、チベット難民の生活の改善、チベット文化の継承、ひいてはチベットの自由化という形で結実することを切に願う。


ちなみに、私はネチュン・ゴンパの屋根が見えた時点で斜面の細道を歩いて下ったのだが・・・
もう少し幹線道路を先に進んでいれば、こんな立派な入り口があり、整備された道を辿って行くことができたのだった。
ガンチェン・キション入り口

ダラムサラ(15)~マクロードガンジを一望

2011年10月11日

チベット子供村(TCV)への道の途中で、マクロードガンジを一望することができた。
マクロードガンジを一望
・左端(北側)に見えるのがマクロードガンジのバスステーション
・下に見えるのが、本日訪れたチェチョリン・ゴンパ
・右端(南側)に見える4つの三角屋根がツクラカン

町並みは、手前に見えるのと同じ位の幅のものが山の向こうにもあるだけ。
こうして見ると、かなり南北に細長い街であることが分かる。

4年前にも感じたことだが、このように山のてっぺんに造られた街を見ていると、チベット難民が“僻地に追いやられた”といううがった印象をどうしても受けてしまう。

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