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PN:和蔵 一起
HN:カズ@憧れの大地
バックパックを背に、暇さえ見つかれば世界のどこか(主にアジア)を巡り歩いているバックパッカー。
2001年、2007年にチベットを訪れ、その文化に強く心を引かれる。
2011年9~10月、ちょっと社会人をお休みして古き良きチベット文化の薫りが残るインド・ラダックへ。
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ダラムサラ」の最近のブログ記事3 / 3

ダラムサラ(4)~問答

2011年10月 8日

午後、昨日見逃した問答を見に再びツクラカンに赴く。
昨日のことから推察するに、3時前に行けば見ることができるだろうと思って行ってみると、案の定、やっていた。寺院前のスペースに僧侶たちが幾つかのグループに分かれて問答を展開している。中には、留学生か研究生だろうか、俗人の外国人の姿も見られる。
チベット仏教の問答
本土のセラ僧院などでは問い手と答え手が1人ずつのペアが基本だったが、ここでは2人1組とは限らず、複数対複数のケースも見られる。
問い手が問いを終えると手のひらを「パァン!」と打ち鳴らすのがチベット仏教の問答でおなじみの動作。ここでは割と控えめなアクションで打ち鳴らしている僧侶が多かったが、中には答え手を威嚇するかのように?大きな動作で打ち鳴らす僧侶もいる。

最後の方になると、皆で取り囲んでよってたかって?答え手を追及する場面も。
チベット仏教の問答

先述のセラ僧院で見た問答はショー的な色彩も見え隠れしていたが、ここでの問答は過剰なパフォーマンスは一切無く、チベット仏教の修行の本当の姿を垣間見た思いだった。

ダラムサラ(3)~コルラ道

2011年10月 7日

昼食時、「ルンタ・プロジェクト」の中原一博氏にお会いする。最近チベット本土で続いているチベット人の抗議の焼身自殺という悲しい出来事の話、新たに亡命してくるチベット人の動向、チベット子供村(TCV)のこと、ダラムサラのことなど、貴重なお話を聞かせて頂いた。

その後、中原氏に行き方を教えて頂いたダラムサラの「コルラ道」を歩いてみた。
コルラとは、仏教の聖地を時計回りに巡礼することで、ダラムサラでは中心寺院のツクラカン周りにコルラ道が設けられている。

実は、2007年に旅の途中の予定外の思い付きから予備知識ゼロの状態でダラムサラを訪れた時、私はこのコルラ道の存在を知らずに過ごしてしまっていた。
それから3年経ったある日のことである。
ダラムサラを訪れたばかりの知人にその時の写真を見せてもらった中に、無数のタルチョがたなびく風景を撮ったものがあった。
「これ、どこですか?」
「え、(ダラムサラに行ったことがあるのに)知らないんですか!? コルラ道ですよ!」

――非常に恥ずかしい思いをした。肝心な場所を訪れていなかったようである。

[次にダラムサラを訪れた時には行かないと・・・]

その埋め合わせの時が来たということだ。

ルンタGHから中心街とは逆の方向に急な坂を下り、三叉路のカーブを通過して今度は急な坂を上り、そのまま真っ直ぐ行くとツクラカンに行き着くのだが、その途中にある細道の入り口を進むと、そこがコルラ道だ。
コルラ道入り口

道中には、無数のタルチョ(五色の祈祷旗)と、タルチョ色に文字が色分けされたマニ石(経文や真言等が刻まれた石)を見ることができる。
マニ石とタルチョ

街中では見られない大型マニ車やチョルテン(仏塔)もある。
大型マニ車とチョルテン

そして、その大型マニ車やチョルテンのある場所を過ぎた後のことだった。

タルチョの“海”と言っていいだろう。その“海”に埋め尽くされるように、廟とその左右にチョルテンが建っているではないか。
タルチョの“海”とチョルテン

――出るのは、溜め息ばかりだった。
これでもかと押し寄せてくるチベット仏教の薫りに、私は祈りを捧げずにはいられなかった。

この時、気づいたことがあった。
ダラムサラに“チベットの空気”が希薄であると感じたのは、「借り物の地」「バターの匂いがしない」ということばかりが理由ではなかったのだ。
寺院を除いて、大型マニ車、チョルテンなどといったチベット仏教の施設が街の中心に見当たらないことも大きな原因の一つだったのだ。(タルチョは街中にあることはあるが、そんなに多くもない)

その証拠に、
ここには間違いなく、“チベットの空気”が漂っていた。

ほんの少し、心に少しあいていた穴が埋められた思いだった。

それにしても、前回の訪問でこんな重大な場所を見落としていたとは、恥ずかしい。
もはや、「ダラムサラは2度目」などと大きな顔をして言えない・・・

コルラ道のゴール地点は、朝にも訪れたツクラカンである。
ツクラカンに近づくと、問答をやっている熱気を帯びた声が聞こえてきた。これだけはラダックでもお目にかかることができていなかったので、急いで中に入ろうとしたが、
「ここは出口です」
と門番に押し留められ、入り口に回ってセキュリティチェックを受けてから入場する頃には、問答は終わっていた。
とはいえ、その後のお経の合唱だけは拝見することができた。僧侶だけではなく、俗人、しかも女性も交じって行っているのが他では見たことのない光景だった。
お経の合唱

――決めた。
コルラ道とツクラカンは、毎日巡礼しよう。

その後、街中に戻るが、先程のコルラ道で心に飛び込んできたものの余韻が残ったのか、前にダラムサラに対して感じた違和感は少し緩和されたようだった。

※一部写真を後日撮影したものに差し替えています。

ダラムサラ(2)~ダラムサラの“空気”

2011年10月 7日

長距離移動から一夜明けた朝だったが、調子は悪くない。朝一番でダラムサラの中心寺院・ツクラカンを巡礼する。寺院正面には、4年前には無かった屋根が設置されていて、何か圧迫感があって狭苦しくなったように感じられた。
ダラムサラのツクラカン

寺院では、本殿の仏像に祈りを捧げ、本殿の周りのマニ車を回しながらコルラ(時計回りに行われる巡礼)する巡礼者、問答の動作をゆったりとさせたような朝の体操?をする僧侶たち、隅の方にあるチョルテン(仏塔)の前で五体投地(地面にひれ伏しつつ行われる祈り)を行う者たちなど、朝の時間を仏に捧げる人々の信仰心がゆったりとした時間の中で漂っている。
朝の体操?をする僧侶たち
朝の体操?をする僧侶たち

そして、ツクラカン正面に建つ、ダライ・ラマ法王公邸――外遊はまだ先のようなので、今この中に、法皇様がいらっしゃるはずである。
4年前に訪れた時も感じたことだが、ラサのポタラ宮やノルブリンカとは比べ物にならないほど小さく、質素な屋敷である。謙虚でつつましいダライ・ラマ14世でなければ、この格差には到底耐えることができないのではないだろうか。
ダライ・ラマ法王公邸
公邸前には掲示板があり、法皇様のスケジュールが張り出されている。

 10月30日 大阪
 11月1~2日 高野山
 11月3日 高野山大学
 11月5日 仙台・孝勝寺
 11月6日 仙台・聖和学園、郡山・日本大学

殆どが来日スケジュールだ。震災があった関係なのだろうが、日本人として、ありがたいやら申し訳ないやらの気持ちで胸が一杯になった。

ツクラカン拝観の後、街の中心に出てみた。まだ閑散としているが、寺院の周りのマニ車を回す者、ぼちぼち店を開ける人、屋台を開く人、子どもを学校に送る母親などが、1日の営みを始めようとしていた。
ダラムサラ中心街
開き始めている屋台の1つで、モモを売っていた。朝食にしようと1皿買い求め、お値段10ルピー
そう言えば、宿の値段もかなり奇麗な部屋が1泊200ルピー、昨夜の夕食もドリンク付きで80ルピーのメニューで美味しく、しっかりと頂くことができた。全般的に、数日前までいたラダックと比べるとかなりコストパフォーマンスがいい。
薄々感じていたのだが、ラダックはやはり物価が高い傾向にあったようだ

ほんの僅かな時間の散策だったが、私はその短い時間の間で十分に、ダラムサラの空気に妙な違和感を覚えていた。

チベット人が大勢いながら、“チベットの空気”が希薄なのである
一つには、チベット本土やラダックで感じられた、チベット独特のバターの匂いがしない、ということもあるだろう。
しかし、根本的な原因はもっと深い所にあるように思われた。

ここには、チベット人の大きなコミュニティがある。
しかし、ここは、チベット人の土地なのか?

答えは、“No”である。

ラダックは、ラダッキというチベット人が生まれ育った土地だ。だから、ラダックには“チベットの空気”が感じられた。
チベット本土は、今でこそ中国共産党に侵されているとはいえ、チベット人が生まれ育った土地だ。(私が最後に訪れた2007年時点で)ラサのジョカン周辺あたりにはまだ“チベットの空気”が感じられた。

しかし、ダラムサラはそうではない。

借り物の地・・・
本来ならチベット人が住まなくても済んだはずの地・・・

故郷を離れることを余儀なくされた人々の悲哀が、ダラムサラの空気にはあった。

ダラムサラ(1)~マクロードガンジの電飾

2011年10月 6日

さて、マクロードガンジに到着したはいいが・・・

[どこだ? ここ・・・]

4年前に来た時には無かった、バス発着所ができている。
そして、出口はどこだ?
幸い、同じ車で来た乗客が階段を上がっていくのに着いて行き、地上の駐車場出ることはできた。しかし、それでもまだここがどこなのかが分からない。灯りが点いている方向に行けば街中に出られるだろうと、ゆったりとした坂道を上っていく。
その先にあったのは、見覚えのある、マクロードガンジ入り口の広場だった。
いや、確かにあの広場に間違いないのだが・・・
こんなにきらびやかだったか?
マクロードガンジの電飾
そこにあったのは、けばけばしい程の電飾だった。
よくよく考えると、私は4年前に来た時もこの時間にこの広場へ来たことはなかった。だから見覚えがなかったというだけのことかもしれない。
ただ、街の真ん中を歩いていると、やはり前よりも華やかな感じになった印象は否めない。

宿は4年前と同じ、ルンタ・ゲストハウスにした。街の中心から少し外れていて、閑静な場所にあるこのゲストハウスは、ツインルーム200ルピーで部屋もかなり奇麗。これまでのどの宿よりもコストパフォーマンスがいい。
宿の1階はレストラン。このルンタ・レストランはベジ日本料理を出してくれる店だが、日本人客ばかりでなく西洋人旅行客も多く、食事時にはかなり賑わっている。夕食はここで、かき揚げ丼を頂いた。ちょっと私にはつゆだく過ぎたが、それでも久々の日本の味に舌鼓を打つ。

休む前に、ちょっとインターネットカフェに行ってみた。ルンタGHから少し街の方に上った所にある2件に入ったが、いずれも速度・日本語環境とも申し分なかった。

とにかく、今日は(今日も)移動で疲れた。いつもより早めに就寝する。

マナーリー~ダラムサラ

2011年10月 6日

マナーリーで迎えた2日目の朝。宿に近いチベット寺院2つを参拝した後、いざ、今回の旅で第2の目的地であるダラムサラへと向かう。
ところが、マナーリーのバスターミナルで、前日に買ったチケットの車が無く、取りあえずクルまで行ってそこでダラムサラ行きに乗り換える、ということになる。

クルでの乗り継ぎは、最初のバスの車掌が案内してくれたお陰でスムーズにできた。と言うより、乗り継いだらすぐの発車でトイレに行く暇すら無かった。

乗ったバスは「Ordinary」、即ちごく普通の鈍行バスで、途中で何度も停まっては客を乗降させ、要所のバスターミナルではじっくり停まって客を集め、という実にゆったりとしたものだった。
バスは途中までは、おおむね山道を上るコースをたどる。しかし、後半になるとほぼ一貫して山道を下りる形となった。ダラムサラは山のてっぺんにあってその上にはもう街は無い、というイメージが前回の訪問であっただけに「おいおい、どこまで下りるんだ?」と少し不安を覚えた。しかし、よくよく外を見れば山を下っているというよりは山そのものがだんだん低くなっていて、それに沿うようにして走っていたのだった。
もう一つ違和感を覚えたのは、前回はチャッキバンクからアクセスして、ダラムサラに着くまでは人里離れた山奥の道をひたすた走ったような記憶があったのだが、今回は到着直前まで賑やかな街を幾つも通ったことだった。しかしこれも、コースが違えば車窓の外に見える風景も変わって当然のことだった。

午後6時すぎ、ダラムサラのバスターミナルに到着した。しかし、これで目的地に着いたと思ったら大間違い。ダラムサラには「ロウアーダラムサラ」と「アッパーダラムサラ(通称『マクロードガンジ』)」の2つの地域があり、旅行者にとって「ダラムサラ」と言えば後者なのだが一般的に「ダラムサラ」と言えば前者なのであるらしい。ここから更に、すし詰めのジープタクシーで10kmほど山道を上ることになる。(ちなみに、この時の私の隣席は、女性に抱えられた大きな犬だった)

午前8時20分にマナーリーを出発して約10時間30分後の午後7時前、ようやく目指すマクロードガンジに到着した。

 9月26日:7時間
 9月27日:11時間
 9月30日:10時間
 10月1日:9時間半
 10月4日:19時間
 10月6日:10時間半

これ全て、ここ最近車で移動した所要時間である。

――移動しすぎ。

ここでは暫く、ゆっくりすることにしよう。

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