ラダックから
ちょっと働く手を休めて、インド北部の秘境・ラダックへ・・・
都会の喧騒をしばし忘れて、スローな生活をゆったりと過ごしてきました。
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2011/09/29 - ギャワ・リンガ磨崖仏
2011/09/29 - サニ~パドゥム
2011/09/29 - サニ・ゴンパ
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2011/09/28
- ザンスカール~カルギル(2)
- ◆プロフィール
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PN:和蔵 一起
HN:カズ@憧れの大地
バックパックを背に、暇さえ見つかれば世界のどこか(主にアジア)を巡り歩いているバックパッカー。
2001年、2007年にチベットを訪れ、その文化に強く心を引かれる。
2011年9~10月、ちょっと社会人をお休みして古き良きチベット文化の薫りが残るインド・ラダックへ。

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ザンスカール~カルギル(2)
2011年9月30日
カルギルへの車は、7時すぎになってようやくパドゥムを出発した。
来た時と同じ道ではあるが、進行方向が逆だと見える景色も違う。また、何度見てもいい景色というものもある。特にドゥルン・ドゥン氷河では、私も田辺さんもテンションを上げて、埃っぽい荒野を走っているにもかかわらず車の窓を全開にして写真を撮り続けていた。
今回特に印象に残ったのは、道と川の方向が西向きから東向きへと変わった後のスル谷の景色だった。山と山との間に、スル川が切り開いた広大な谷が横たわっているのである。

[これこそ、『風の谷』だ・・・]
私は名作アニメ『風の谷のナウシカ』の情景を思い浮かべていた。
4年前、私は『風の谷』のモデルではないかといわれる同じくカシミール地方の、現在はパキスタンの実効支配下にあるフンザを訪れて、その清らかで幻想的な谷の風景に、なるほどこれは『風の谷』のモデルかもしれないな、と感じたものだった。ただ一つ、あの名作の谷に比べて狭いかな、という違和感だけがぬぐえなかった。
今眼下に見える風景はどうだろう。山と山に挟まれた広大な谷の中に、川が流れ、小さな家屋が点在し、収穫後ではあるが田園風景が広がり、緑の木々が林を形成している。
『風の谷』のモデルは実は、フンザよりもむしろその上流にあるラダックではあるまいか――そんな気がしてならなかった。
さて車は、なぜか途中で発電用のタービンをピックアップしつつ、スル川に並行する道を下っていく。行きと同じ3箇所のチェックポイントでパスポートチェックを受ける毎に、ザンスカールから遠ざかっているのだな、ということを感じる。
スタートで出遅れたため明るいうちに到着できるがどうかやや不安だったが、車は出発から10時間強の午後5時半、カルギルのメイン・バススタンドに到着した。その10時間の間トラックの荷台に置かれていたバックパックは、荒野の風に吹きさらされて埃まみれになっていた。
到着して真っ先に行ったのが、メイン・バススタンドでレー行きのバスを探すことだった。これが見つからないと騒がしいだけで何の面白みも無いカルギルで余分な長居を強いられることになる。
ところが探し始めて1分とたたないうちに、至極きれいなレー行きのバスが見つかる。運賃は1人300ルピーと、思っていたよりも安い。私と田辺さんは即そのバスのチケットを購入し、出発時間である翌午前4時半まで近くのゲストハウスで一息ついた。
ザンスカール~カルギル(1)
2011年9月30日
早朝5時。カルギルに向かうべく宿を出た。まだ暗い東の空には、雪を冠したザンスカールの山の頂が白く輝いている。

5時すぎになったら泊まっていた宿の前で私を拾ってくれるはずのカルギルへの車がなかなか来てくれない。待っているうちに6時になってしまった。業を煮やして、車が出発するパドゥム・ゴンパ近くのゲストハウスにこちらから出向いてみると、何やら準備中の様子の小型トラック車が停まっていた。
前日その車の件で声をかけてくれた田辺さんによると、
「運転手が寝坊したらしいです」
とのこと。あり得ない・・・
ようやく運転手が準備を終え、そのゲストハウスを出発する頃には7時前になっていた。乗客は私と田辺さんのほか、インド人が3人だった。
ところが、出発したかと思うとすぐ、私が泊まっていたゲストハウスの手前にあるレストランで停まって朝食&モーニングチャイ。
私が宿を出てから2時間経過して、宿からカルギルまでの移動距離、-100m・・・
カルギルへの交通手段決定
2011年9月29日
宿に戻り、夕食でもとろうかと表に出たところ、ザンスカールへ向けて出発しようとしていたレーのバスターミナルで少し言葉を交わした日本人男性・田辺さんに出くわした。一緒に夕食をとりつつ、レーへの交通手段について話をする。
「取りあえずカルギルまでの車を宿で安く(500ルピー)手配できそうなのですけれど――空きがあったら一緒にどうですか?」
と、田辺さんが言う。
願ってもない話だ。私もちょうど、ザンスカールを離れようかと思っていたところである。
夕食を終えて、宿で冷水浴を終わらせたところ、ドアをノックする音がする。田辺さんだった。
「車の席に余裕があるので、明日の朝5時出発で行きましょう」
これで、ひとまずカルギルまでの足は決まった。後はカルギルでレー行きの足を確保するばかりだ。
パドゥム・ゴンパ一帯
2011年9月29日
ギャワ・リンガ磨崖仏を目の当たりにしてザンスカールに満足しはしたが、せっかくなのでパドゥム・ゴンパ一帯を散策してみよう。既に夕方の5時を回っていたのでゴンパに上って内部を見るのはちょっと無理だろうが、ゴンパに対する未練は既に無い。

パドゥム・ゴンパ一帯は、ほんの数年前まではマーケットあり、バスターミナルありの街の中心地だったらしいが、今ではその座を街の北側に奪われ、バスターミナルは空き地となり、マーケットはすっかりさびれてしまって、往時の賑わいは失われてしまっている。
だからと言って、みすぼらしいばかりの場所だという訳ではない。ゴンパへ向かう村落の中の道を歩いていると、家屋の造りは他の場所と同じなのにもかかわらず、
[ここは――ザンスカール王国時代の町並みではないのか?]
そんなことを思わせる、落ち着きのある古めかしい雰囲気に満ちている。

最後の最後に、いいものを見せてもらった。既にザンスカールを満喫しきった心に、新たな充実感がプラスされた。
ギャワ・リンガ磨崖仏
2011年9月29日
少し宿で休んだ後、今度はパドゥムの南へと向かった。
何が何でも見ておきたい場所の残る1箇所――それが、ギャワ・リンガ磨崖仏だった。パドゥムの東側を流れるツァラプ川の岸に立つ大岩に刻まれた仏たちである。
手元のガイド本を見ると、谷の底近くに架けられている橋に通じる小道を降りて、更にその橋の先にあるという。その通りに進んでいくと、遂には川辺にまで降りてしまい、更に川辺を歩くことになった。
しかし、なかなかその岩が見つからず、それがそうなのだろうと見回してみると、上の方にタルチョ(五色の祈祷旗)が飾られている岩が見つかった。
タルチョのある所に仏教あり――その原則に従えば、あれに間違いない。川辺からその岩まで上ってみると、まずチョルテン(仏塔)が刻まれているのを確認することができた。

岩の別の側面へと移動してみる。すると、岩肌に5人の仏たちがくっきりと刻まれているではないか。

これを見た瞬間、私は思った。
[これで、心置きなくザンスカールを後にすることができる・・・]
私がラダックに求めていたのは、ゴンパではない。チベット仏教そのものなのだ――先程サニで見たチャンパ石仏やこの磨崖仏が、私をそんな原点に立ち返らせてくれた。もはや、
ゾンクル・ゴンパに対する未練もサニ・ゴンパの内部に対する未練も大幅に(100%とは言えないが)消えてくれた。
それに、ザンスカールについて仏教以上に楽しみにしていたのが、自然の風景だった。トレッキングこそしなかったが、これについても既に十分に満足していた。実は、パドゥムに来る途上で目にした大自然の風景だけで既に大満足していたのである。
もっと長居してもよかったのだが、手持ちのルピーの問題もあるし、ラダックの旅行シーズンがそろそろ終わりに近づいてもいることだ。
[よし、行こう]
問題はレーに向かうための交通手段だ。
ところで、ギャワ・リンガ磨崖仏への道だが、わざわざ谷底に降りなくてもフラットな道筋で行けることに、帰り道で気がついた。
サニ~パドゥム
2011年9月29日
さて、サニからの帰りだが、このあたりにはバスという交通手段がまず無い。乗り合いタクシーやジープ、トラックなどが来るのを待って乗せてもらうしかない。
しかし、その車がなかなかやって来ないのがザンスカールである。
暫くは地元の「Photo!」などとまとわりついてくる可愛い地元の子どもたちを相手にしながらサニの道端で車が来るのを待っていた。

しかし、このままじっとしていて車が来ない場合を考えると、少しでもパドゥムに向けて前に進んだ方がいいだろう、と思い立ち、私は昨日に続いてウォーキングに踏み切った。
幸い、道は大した上り坂も無くほぼ平坦で、途中には道としてまずまず整備された近道もあった。道のりも7km程度と昨日ほどではない。むしろ、途中の風景を楽しみながらパドゥムへの道を歩いた。

途中で渡った鉄橋

途中で通りかかったチョルテンとマニ壇
途中で写真を撮ったりしていたのでペースは遅くなったが、約1時間40分でパドゥムに到着した。
そして、その1時間40分の間に私を追い越した車両は――僅かに5、6台だった(前半は停めようとして手を挙げても停まってくれなかったが、後半は「最後まで歩いてやれ」という気持ちになって手すら挙げなかった)。
これが、ザンスカールの交通事情の実態である。
サニ・ゴンパ
2011年9月29日
何が何でも見ておきたい場所は、あと2箇所あった。その一つが、パドゥムから北西へ7kmの場所にあるサニ・ゴンパ(サニ・パレス)だった。幸いにも、乗り合いタクシーがすぐに見つかったので早速向かった。
サニ・ゴンパは珍しく平地に建てられたゴンパである。本堂が一つと、チョルテン(仏塔)が幾つかあるだけの小さなゴンパだが、その本堂の内部が素晴らしいらしい。
本堂の周りは工事中で、マニ車の列を設置するスペースはできているものの、肝心のマニ車がまだ設置されていない。しかし、本堂そのものはかなりきっちりとメンテナンスされているようで、真新しさすら感じさせられる。

――にもかかわらず、塀を工事している俗人のインド人以外、全く人けが無い。本堂の扉も固く閉ざされている。境内の井戸へ水をくみに来た女性にも確かめてもらったが、やはり誰もいないようである。
仕方が無いので、先に境内の外にあるチャンパ石仏を見に行くことにした。実は本堂以上に見ることを楽しみにしていたのがこちらなのである。
こちらも入り口は閉ざされているが、外から覗くことはできた、チョルテンの前に、1000年以上前のものとは思えないほど保存状態のいい石仏が並んでいる。ここでお祈りをして、本堂の中を見ることができないイライラを少し和らげた。

しかし、1時間以上待っても誰も来る気配が無い。この分では、幾ら待っても無駄となる可能性も十分にある。
残念ながらの連続だが、サニ・ゴンパ内部の参観も諦めざるを得なかった。しかし、立派な本堂の外観とチャンパ石仏を見ることができたので、まあよしとしよう。
サニにはこのほか、地元民に神聖視されている小さな湖もあり、仏教以外に自然も楽しむことができる。

ツーリスト・オフィス
2011年9月29日
一度パドゥムに戻って、中心街の一番北にあるツーリスト・オフィスを訪ねてみた。色々得ておきたい情報があったのである。
入り口には看板があり、そこには近郊の名所が列挙されている。ちなみに、昨日行ったカルシャまでの道のりは12kmとのこと――直線距離を道のりと勘違いして片道6kmのつもりで歩いて行ったのが、実はその2倍もあったのだ。思っていた以上に時間がかかったはずだし、思っていた以上に疲れたはずだ。

オフィスに入ると、少し年のいった係員がフレンドリーに出迎えてくれた。
まず聞きたかったのが、ゾンクル・ゴンパへの行き方だった。パドゥムから北西へ20kmほどのアティンから更に5kmほど歩かなければならない場所にある独特なスタイルのゴンパらしいのだが、何とか日帰りで行きたいと思っていた。
「タクシーをチャーターして行くことになりますね」
やはりそうなるのか・・・。
「その場合の参考価格は、3300ルピーになりますね」
この値段が、大きな壁となった。
パドゥムで両替やキャッシングができるのなら、それだけのお金を用意して行ったかもしれない。しかし、ザンスカールでは外貨両替が一切できないのである。3300ルピーも払ってしまうと、手持ちのルピーが足りなくなる恐れがあったのだ。
万難を排してでも行きたいという程ではなかったので、残念ながらゾンクル・ゴンパは断念せざるを得ないようだ。
更にもう一つ、確認したいことがあった。レー行きのバスがいつ、どこから出るかということだ。
「レー行きのバスは、毎週2回、この近くから出ます。出発時間は午前3時半になります」
「前回のバスはいつ出発しましたか?」
「前回は――2、3日前でしたかね」
となると、明日にでも次のバスが出る可能性がある。となると・・・
[明日出発してもいいように、今日のうちにどうしても行きたい所には行ってしまおう]
私は、明日ここを出発する心の準備をして、早速行動に出ることにした。
パドゥム北部
2011年9月29日
起床がいつもより遅くなったものの、昨日疲れきった体の調子はだいぶ良くなっていた。
初めのうちは、今日は近場だけにしてできるだけ体を動かすのは控えようと思っていたのだが、結果から言うと、この日も精力的に動き回ることになる。
この日はまず、昨日よりは手前のパドゥム北部に出かけた。最初に、昨日もすぐそばを通りながら後回しにしたピピティン・ゴンパを訪れる。小高い丘の上、本堂の背後にチョルテン(仏塔)が建てられているその外観は、巻貝に入ったヤドカリのようで面白い。

ご本尊は千眼千手十一面観音。黄色い布で覆われていて、顔がたくさんあるのは分かるが手が全く見えなかったのが少し残念。

放牧されている家畜や農作業をする人々を横目に、畑を横切る形で次の場所へ向かう。
実はパドゥムには今でもパドゥム王家が続いている。かつては街の南にあるパドゥム・ゴンパそばに王宮があったのだが、今は街の北外れにあるポタンで暮らしている。

その敷地には真新しいゴンパもあったが、周りは人を寄せ付けぬかのように囲いで覆われていて、とても中に入れそうになかった。
かつて権力を握っていた一族が今では外部から隔離されているようである。滅びてはいないものの、そこには「栄枯盛衰」の物悲しさが感じられた。
竜巻
2011年9月28日
カルシャからの帰り道。パドゥムの街に着く直前のことだった。
行く先で、ものすごい勢いで砂埃が立っている。
[おい、冗談じゃないぞ。あんな埃に直撃されたら、今コンタクトレンズだし、鼻炎もぶり返すではないか]
しかし、よく見ると、天に向かって舞い上がる砂埃は少しずつ移動している。しかも、渦を巻いてはいないか?

竜巻だ・・・
幸いにも、規模が小さく、家屋や家畜を吹き飛ばすような被害は無く、高い山にぶつかったところで竜巻は消えた。
それにしても、竜巻なんて、リアルで見るのはこれが初めてだった。